ドラクエ7が鬱ゲーと呼ばれる理由7選!トラウマ級の絶望を解説

ドラクエ7と言えば、シリーズ屈指のボリュームとやり込み要素を誇る一方で、プレイヤーの間では鬱ゲーやトラウマとして語り継がれていますよね。ネットで検索すると、レブレサックの胸糞悪い結末や、キーファの種泥棒騒動、救いようのないマチルダやエリーのエピソードなど、数々の悲劇が話題になっています。私自身もプレイ当時は、あまりの重い展開に心が折れそうになった記憶があります。なぜドラクエ7はこれほどまでに暗く、そして深く心に残る物語になったのでしょうか。この記事では、そんなドラクエ7の鬱要素について、ネタバレ全開で振り返ってみたいと思います。

鬱ゲー
  • レブレサックやグリンフレークなど主要な鬱シナリオの全貌
  • キーファ離脱やマリベルの一時離脱がもたらす喪失感の正体
  • 石版探しやフリーズバグといったシステム面での精神的負荷
  • ドラクエ7の鬱展開に込められた製作者の意図と作品の魅力

ドラクエ7の鬱シナリオとトラウマ級のイベントランキング

ドラクエ7を語る上で避けては通れないのが、数々の鬱シナリオですよね。ここでは、プレイヤーの心を深くえぐった代表的なエピソードをピックアップして紹介します。どれも「魔王を倒してハッピーエンド」という王道RPGの常識を覆すような、強烈な体験ばかりです。

鬱展開の代名詞レブレサックに残る胸糞の悪い結末

ドラクエ7の鬱エピソードとして真っ先に名前が挙がるのが、間違いなくこのレブレサックでしょう。「ドラクエ史上最悪の胸糞シナリオ」とも呼ばれるこの村の物語は、人間の集団心理の恐ろしさをまざまざと見せつけてきます。

魔物の姿に変えられた神父を、村人たちが寄ってたかってリンチにするシーンは、見ているだけで胃が痛くなりますよね。しかも、その神父は村を守るために身を挺していたというのに、村人たちは自分たちの罪を隠蔽するために「神父こそが魔物だった」という偽の歴史を作り上げてしまうんです。

現代に戻ってもその嘘が「正史」として語り継がれているのが、このエピソードの最も救われない点です。

主人公たちが真実を伝えようとしても、村人たちは「よそ者が嘘をつくな」と逆上し、証拠となる石碑を破壊してしまいます。恩を仇で返されるこの徒労感は、他のゲームではなかなか味わえません。

キーファの種泥棒と離脱イベントが与える強い喪失感

物語序盤の最大の衝撃といえば、やはりキーファの離脱ですよね。主人公の親友であり、頼れる兄貴分だった彼が、ユバールの踊り子ライラに一目惚れして「過去に残る」と言い出した時の絶望感は忘れられません。

ただ物語からいなくなるだけならまだしも、プレイヤーの怒りを買ったのは、彼が貴重な装備やステータスアップの種を持ったまま離脱してしまうことです。ネット上で彼が「種泥棒」という不名誉なあだ名で呼ばれているのも、当時のプレイヤーがいかに彼を頼りにし、リソースを注ぎ込んでいたかの裏返しと言えるでしょう。

キーファが過去に残ったおかげで現代にアイラが生まれ、結果的に世界を救うことに繋がるのですが、その過程で味わう喪失感は計り知れません。

救いがないマチルダやエリーの悲劇的なストーリー

ドラクエ7には、「倒したくない相手」と戦わなければならない悲劇が多く存在します。最初のボスであるマチルダ戦からして、すでに鬱展開全開でしたよね。彼女は村の子供たちを守るために魔物に従っていただけなのに、プレイヤーは無抵抗の彼女を倒さなければなりません。

また、フォロッド城のからくり人形エリーのエピソードも涙なしには語れません。主人のゼボットが亡くなった後も、死を理解できずに白骨化した彼にスープを作り続ける姿は、機械ゆえの純粋さが逆に悲しみを誘います。現代でボロボロになりながらも動き続けている彼女を見た時、何とも言えない切なさを感じた方も多いのではないでしょうか。

鬱要素が強い過去のグリンフレークにおける愛憎劇

魔物が直接関わらない人間同士のドロドロした愛憎劇として有名なのが、グリンフレークの物語です。昼ドラ顔負けの三角関係、四角関係が展開され、登場人物たちのすれ違いが最悪の結末を招きます。

ペペがリンダへの想いを封じて町を出ていくシーンは、一見すると美談のようにも見えますが、結果としてリンダは愛のない結婚をし、孤独に生涯を終えることになります。プレイヤーがどれだけ介入しても、個人の恋愛感情や人生の選択まではどうにもできないという無力感を突きつけられるシナリオでした。

現代のグリンフレーク跡地がただの観光地になっており、かつての悲劇が完全に風化している点も、リアリズムを感じさせる鬱ポイントです。

マリベル離脱時の孤独感やパーティー弱体化の絶望

中盤で訪れるマリベルの一時離脱も、地味ながら精神的にクるイベントでした。彼女は毒舌家ですが、その明るさやツッコミが暗い冒険の中での救いになっていたことに、いなくなって初めて気づかされるんですよね。

戦力的にも、攻撃魔法と回復の両方をこなす彼女の離脱は痛手でした。特にこの時期はストーリーも佳境に入り、敵も強くなってくるタイミング。頼れる仲間が減り、残されたメンバーだけで陰鬱な世界を旅する孤独感は、プレイヤーの不安を一層煽る演出として機能していたように思います。

ドラクエ7の鬱評価を決定づけるシステムや演出の構造

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実はシナリオだけでなく、ゲームシステムや演出そのものも、プレイヤーに「鬱」を感じさせる大きな構造的要因になっているんです。ここでは、なぜドラクエ7がこれほどまでにプレイヤーの精神を削ってくるのか、その仕組みを深掘りしてみましょう。

石版探しの徒労感やフリーズバグによる精神的負荷

ドラクエ7を語る上で外せないのが、この石版システムの過酷さです。広い世界の中に隠された小さな石版のかけらを探し出す作業は、冒険というよりも「苦行」に近いものがありました。

ヒントが少なく、たった一枚見逃しただけでストーリーが完全にストップしてしまう絶望感。さらにPS版初期では、フリーズバグの恐怖も常に付きまとっていました。数時間の苦労が一瞬で無に帰す徒労感は、ゲーム内の魔王よりも恐ろしい存在だったかもしれません。

「早くクリアしたいのに終わらない」という感覚自体が、ある種の鬱状態の疑似体験になっていたとも言えます。

過去と現在の対比演出が強調する虚無感や救いのなさ

ドラクエ7の演出で秀逸なのが、過去と現在の対比です。過去の世界で苦労して村を救い、現代に戻ってくると、そこには平和な風景が広がっています。しかし、数百年という時間が経過しているため、過去で出会った人々はもう誰も生きていません。

自分たちが救った人々がすでに死んでいるという事実。そして、その偉業が歴史の闇に埋もれて忘れ去られている虚無感。現代の明るいBGMがかえって空虚に響き、「自分たちの戦いに意味はあったのか?」と考えさせられてしまうんですよね。

鬱ゲーと呼ばれる根本的な原因と堀井雄二氏の意図

なぜドラクエ7はこれほどまでに救いのない物語になったのでしょうか。それは、シナリオを手掛けた堀井雄二氏が描きたかったテーマが、単なる勧善懲悪ではなく、「人間という存在そのもの」だったからではないでしょうか。

魔王という絶対的な悪を倒すだけでは解決しない、人間の弱さ、集団のエゴイズム、そして時間の残酷さ。これらを隠さずに描くことで、きれいごとだけではないリアリティを表現しようとしたのだと思います。だからこそ、大人になった今プレイすると、子供の頃とは違った重みを持って心に響くのかもしれません。

ドラクエ7の鬱展開から学ぶ哲学と文学的な価値

そう考えると、ドラクエ7は単なる「暗いゲーム」ではなく、喪失と再生を描いた文学作品と言えるかもしれません。レブレサックの村人たちの姿は、現代社会に生きる私たち自身の縮図のようにも見えます。

思い通りにならない人生、報われない努力、忘れ去られる過去。そういった理不尽さを受け入れ、それでもなお「今」を生きることの尊さを、このゲームは逆説的に教えてくれているような気がします。

まとめ: ドラクエ7の鬱はプレイヤーへの深い問いかけ

ここまでドラクエ7の鬱要素について見てきましたが、いかがでしたでしょうか。単に「胸糞悪い」で終わらせるには惜しいほど、深いテーマとメッセージが込められた作品だと思います。

20年以上経ってもこうして話題になること自体が、この作品がプレイヤーの心に消えない爪痕を残した何よりの証拠ですよね。

もし今からプレイしてみようかなと考えている方は、ぜひその「鬱」も含めて楽しんでみてください。きっと、他のRPGでは得られない唯一無二の感情体験が待っているはずです。

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